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執筆者の写真百束 比古(HYAKUSOKU HIKO)

その4 熱傷再建における種々の革新的手法開発の歴史

私が形成外科に携わった1980年頃の熱傷治療の最前線は日本医科大学付属病院救命救急センターにあった。当時最も熱傷治療に身骨を注いでおられたのは辺見弘教授(のちに国立災害医療センター院長)であった。その頃多く先生の元に搬入された重症熱傷患者の多くは可燃性液体による自殺企図患者であった。まだ教科書もないような状態で超早期植皮やスキンバンクの設立による死体皮膚の一時的移植など数々の救命目的の方法を開発されて当時ではギネスブックものの救命率を誇っていた。

そこで救命後の社会復帰に向けた、種々の形成再建手術に関わらせてもらったのが、すべて私のライフワークとなる「百束式熱傷再建外科」を生み出す土壌となった。全ては英文誌に掲載されて世界の熱傷再建医に認められている。以下年代順に箇条書きにする。

1. 瘢痕皮弁(代表文献:Hyakusoku,H.,Okubo,M.,Suenobu,J. and Fumiiri,M.:Use of scarred flaps and secondary flaps for reconstructive surgery of extensive burns.Burns,12:470-474,1986.)

熱傷後のケロイド状皮膚が関節部位に及ぶと瘢痕拘縮となり伸展障害をもたらす。これを治すには熱傷を受けていないきれいな皮膚を移植する必要があるが、広範囲熱傷では、救命のために既に全身の殆どのきれいな皮膚が使われていることが多い。そこで、瘢痕部の皮膚を血液の供給のある皮弁として使えないかと開発したのが、瘢痕皮弁である。当時瘢痕皮膚は使うべきでないとの慣習があったので、この発想は画期的であった。これによって熱傷受傷部や皮膚採取部からでも皮弁を作って、瘢痕拘縮解除でできた皮膚欠損部を被覆して、運動障害を解除することが可能となったのである。

なお、次回では次に開発した「正方弁法」について記述の予定である。



背部に作成した瘢痕皮弁によって腋窩の瘢痕拘縮を治療した例。(左:手術前の腋窩の瘢痕拘縮。中:瘢痕部に皮弁をデザインする。右:瘢痕皮弁移植で解除された腋窩の瘢痕拘縮。

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