• 百束 比古(HYAKUSOKU HIKO)

その5 むきだしの物質注入はまずいーシリコンバッグの登場(1975-1990頃)そして生理食塩水バッグへ(1990年台)

豊胸術初期の異物をむき出しで注入する方法が社会問題を起こすほど後遺症を遺したということで、異物は何らかの封入材に閉じ込めて埋入すれば安全ではないかという解決法が欧米からもたらされたのが、恐らく1970年台と思われる。


封入材にはシリコンゴムなどが用いられ内容物はシリコンジェルであった。しかし、体温の高い生体内では封入材の劣化が生じ、内容物の染み出しや酷い場合には封入材の破損が起こり、注入と何ら変わらない様相を呈することもあった。


そして、1990年代に入って我が国発の「Human Adjuvant Desease(HAD)」が欧米で問題視されシリコンバッグは生理食塩水バッグに差し替えられた。


実際に米国のダウコーニング社はシリコンバッグの生産の中心であったため、倒産の憂き目に会ったのである。と言うことで、1990年台の米国や日本では生理食塩水バッグが全盛であった。但し欧州ではシリコンバッグは生き残っていたようである。


確かに生理食塩水バッグは破損しても生体には安全であったが、感触は悪く若干の空気が入りやすくこれが飛行機の中の気圧の変化で膨らんで破裂するとの噂(真実は定かでないが理論的にはあり得る)が広まって徐々に衰退した。


次回ではハイドロジェルバッグとハイドロジェル注入法について述べる。


    左:劣化したシリコンバッグ。       右:生理食塩水バッグのCT画像。



© 2020 Hiko Hyakusoku

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