• 百束 比古(HYAKUSOKU HIKO)

その3 わが国の美容外科の歴史について。

最終更新: 6月30日

戦後暫くして、いわゆる水商売の女性たちが、二重や隆鼻術、胸を大きくすると言った煽情目的?の施術を欲したようである。しかし施術をする医師には少なくとも大学病院の教育はまだなく、巷の美容整形医として独学で手術をしていたようである。ここで、特に豊胸術がワセリンやパラフィンのような炭化水素系物質やシリコンジェルなどのシコリを遺し、時に他部位に流動したり全身に播種したりする危険な異物の注入が行われ、種々の惨害を遺し社会問題にまでなったのである。それで、美容整形は危険な闇の医療という風評が立ったのである。確かに当初の技術は今考えればかなり医療からかけ離れたもので、白人のような広い二重、象牙を使った隆鼻術などもあったようで、闇と言われても仕方のないような状況であったようである。しかるに昭和30年台から40年台になって、日本でも形成外科が標榜科となり学会を作ったのと相まって、美容整形も整形外科と紛らわしい美容整形の名を捨て新たに美容外科として標榜科となった。しかし、従来から十仁病院を核として美容外科をやっていたグループと、形成外科を主体とするグループとは相容れず、結局同名の2つの学会ができてしまった。それが「日本美容外科学会」である。しかし、英語の表記は異なり形成外科を主体とする学会はJapanese Society of Aesthetic Plastic Surgery(JSAPS)であり他方はJapanese Society of Aesthetic Surgery(JSAS)である。要するに形成外科Plastic の有無である。前者は大学の多くの形成外科が入会しており、美容外科の基礎である形成外科を研修してから或いは同時に美容外科を研修させるが、後者は形成外科に関係なく美容外科医を作る場合が多く、今後は形成外科を研修した医師で構成する学会になり2つの学会が一つになることが望まれる。

話は学会のことになり若干それたので、本題に戻して次回は社会問題にまでなった豊胸術とその後遺症の歴史について述べる。


シリコンとパラフィンの        その臨床写真(恐らく昭和25年頃の施術)

二重注入のマンモグラフィー(右/左)


白く抜けた中央部がシリコンで周囲に

煙のように広がっているのがパラフィンと思われる。

© 2020 Hiko Hyakusoku

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